|
観光バスで平泉に向かいました。 平泉は、平安時代末期のみちのくの政治・文化の中心でした。 日本の人口がまだ1000万人で、京都の人口がせいぜい30万人の時代に 10数万人の人口がいたとバスガイドさんが言っていました。 平泉は奥州藤原氏の本拠として4代にわたって栄えました。 (清衡、基衡、秀衡、泰衡)・・・最終的には源頼朝に滅ぼされたのですが。 当時の建築物の多くは戦火によって失われたので、跡しか残っていません。 この「柳之御所遺跡」もそのひとつです。 ここは当時の政庁「平泉館」の跡だといわれています。 近くの資料館に発掘された物が展示されています。 観光バスは資料館前に着くので、ほとんどの人は資料館だけ見ていましたが、 私は遺跡を眺めに行きました・・・当時の面影は全くありません。 まさに「夏草や 兵どもが 夢の跡」ですな。 バスに戻って、あらかじめ駅で買っておいた駅弁を食べました。 「平泉 義経」・・・いかにもな駅弁でございます。 中身はこんな感じです・・・くるみごはん&ゆかりごはん、もちも入っています。 で、なんで平泉で義経なん?という人のために一言。 (私だって平泉に行くまで知らなかったんですけどね・・・高校で歴史やってないもん) 義経はもともと3代目・秀衡の庇護を受けていたんですよ。 その後兄・頼朝の平家征伐に参戦、大活躍したのはいいのですが・・・ 兄に追われる身となってしまい、秀衡を頼って平泉に戻ってきました。 でも秀衡の死後、4代目・泰衡に命を狙われてしまいます。 義経をかくまっていると、自分たちが頼朝にやられてしまいますからね。 追い込まれた義経は、妻子と共に自害した・・・というわけです。 結局、平泉も頼朝に滅ぼされてしまうんですけどね。 (つづく) |
| << 前記事(2007/10/13) | ブログのトップへ | 後記事(2007/10/13) >> |
| タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
|---|
| 内 容 | ニックネーム/日時 |
|---|
| << 前記事(2007/10/13) | ブログのトップへ | 後記事(2007/10/13) >> |